[企業コンセプト]

SAKITUEがご提案するのは
【 NEXTAGE CARE 】 ~ネクステージ ケア~

次なるSTAGEを飾るためのケア
次に訪れるAGEをよりアクティブに送るためのケアです


女性は年代によって 様々なステージが待ち構えています
今を楽しみながらも 次に備えてケアを怠らないこと
特に女性ホルモンが減少する40代からは
常にその先の10年を見据えて健康と美容のケアをする
人生90年時代到来!

あの時に気を付けていれば。。。そんな後悔のない未来へと
いつまでも、美しく人生を謳歌する女性のために
転ばぬ先の杖 SAKITUE がサポートさせていただきます!

[代表あいさつ]

Profile
山内尚子

株式会社SAKITUE  代表 山内 尚子

1958年生まれ 福島県出身。
茨城大学を卒業後、ノエビア化粧品に入社。
販売会社を成功へと導く営業も楽しく、5年で東京支社チーフインストラクターに就任。
美容に益々興味が湧き、この業界を極めるのならばとエステティックの世界へ。
最初のエステサロンは、美しい脚のための専門店。
体質改善から骨格矯正と身体の仕組みを徹底的に学ぶ。
契約時の客単価が100~200万円のサロンで、3,000名以上をカウンセリングし、マネジメントに従事する。
その後、フォーシーズンズホテル椿山荘ゲランパリの初代の店長を務め、お客様もスタッフも最高レベルの中で、一流とは何か、真の満足はどこからくるのか、贅沢な課題に取り組む。

40歳を迎えた時、美容の現場中心の仕事から、化粧品会社やエステサロンのコンサルティングへシフトする中で、ドイツのオーガニックコスメ「アンネマリーボーリンド」に出会う。
全国のスパ・エステサロンへ粧材を提供する会社の相談を受けているうちに、その商品自体と、コンセプトに魅せられ、以後10年間事業部のトップとして全国を飛び回る。初の女性役員にも就任し充実した日々を送っていたが、自分自身の更年期による心身の変化を機に、女性の一生を応援することをライフワークにという想いで退社を決意。

2年間の準備期間を経て、株式会社SAKITUEを設立し、現在に至る。

ご縁ある皆様へのメッセージ

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美容業界に35年近くおりますが、はじめは美容そのものに興味があったからではありませんでした。
田舎の母の影響もあり初めてメイクをしたのは、20歳の春ですから。
それでも乾燥肌が悩みだったため、スキンケア商品は必要に迫られて使用していました。
そしてある日、馴染みの化粧品店に行くと、
「メイクアップアーティスト来る!」のポスターが張られ、お店の人の勧めで受けることに。
メイク=化ける(あまりに古風で笑えますが)と思っていた私は、抵抗を感じながらも施術を受け、鏡に映る自分の顔が刻々と変化するのをみて、思わず笑みを浮かべながら姿勢を正している自分に気が付きました。
そして思ったのが、
「形から入っても、精神(気持ち)ってこんなに変わるものなんだ」
私が誰かを(その時の対象は母でしたが)元気づけて笑顔にしたい!
大学では哲学を専攻し、やりたい事や進路が決まっていなかった私は、その時に
「これって、どんな理屈や仕事よりも凄いかも!?」
それまで美容雑誌を購入したこともなかった私が、美容業界を目指すことを決意した瞬間でした。
あの日に、たまたま立ち寄らなければ・・・
もしあの時、休講でなかったら・・・
たまたまキャンセルが出ていなかったとしたら・・・
今頃、私はどうしていたでしょうか(笑)
一瞬のことで、人生の方向性を迷いなく決めてしまう、それぐらい強烈な美容との出会いでした。

それからおよそ35年もの間、美容一筋に進んでまいりました。
美容は自分自身を愛し慈しむ行為。その価値があなたには十分にあるし、そのケアをすることで、日々を輝かせることが出来る。そんなメッセージを商品や施術を通して伝えてきたつもりです。
ところが美容の仕事が天職と楽しく働き続けてきた私にも、やってきたのが更年期。
軽い鬱状態になり、以前のように仕事もプライベートも楽しめない、頭では分かっているのに、
心と身体がいうことをきかない・・・。
そんな時に、母にも変化が・・・。
父が他界し1年以上無気力でボンヤリしていた母が、良い施設に空きがあり新しい環境へ。
そこでなんとボーイフレンドもでき、地味な服しか着ない母が「なおこ、お母さん、赤い服が着たい」と。
その時の母の少女のような表情に驚き戸惑い、でも嬉しくて赤い服を送ったものです。
ただ、どうしてもそこでは運動不足に。足腰が弱った母に私が勧めた踏み台昇降も、転んで骨折したら危ないと、止められてしまいました。そして、その後まもなく、大腿骨を骨折し要介護に。寝たきりになってしまった母を元気づけようと何度足を運んでも、そのたびに会って言われるセリフが「もう生きていたくない」。
娘として一番つらく悲しい言葉でした。

健康寿命と平均寿命との差が、男性が10年、女性が13年と、
知識としてあってもその理解は上っ面のものでした。
「自分の更年期の先には、母の最期のような年月が待っている」
そう実感すると同時に、母を考えた場合、未然に防げる方法があったのです。
それは足腰が弱ってからではなく、元気なうちに、足腰を鍛えておけばよいのですから。
私にしても、その諸々の症状は、病気でも根性がないのでもなく、急激なホルモンの減少によるものだという知識が事前にあれば、早めの対処ができたのです。
「寝たきりが13年、これって当たり前じゃ全然ない」
「こんな大事なこと、誰も教えてくれなかった」
「転んでから立派な杖をもらったって、もう使いこなせないじゃない」

自分自身に対しても日本の医療の在り方に対しても、怒りに近い感情が沸き起こりました。
そして、もっとやりたい事、やらなければならない事が私の中で芽生えた瞬間でもありました。

そう決心してから見渡すと、ドクターを始めとして実に多くの方が、何らかの方法でメッセージを送り続けているにも関わらず、実は一般の人にはあまり伝わっていないのでは?と感じ始めました。
そこで、予防医療と一般の女性の間にある垣根を超えるには、私が従事してきたエステサロンが1番!と、
直感したのです。
お客様の身体と心に触れ、悩みや生活習慣を知っているセラピスト。
お客様を幸せにしたいというホスピタリティーがなければ、なかなか続かないハードな仕事でもあります。
サロンの今後の在り方を考えた時、私が経験したバブル時代とは異なり、よほどの設備投資がない限り、
見た目の美容や癒しだけでは存続が厳しい時代でもあると思います。

日本の健康寿命を延ばすために貢献し、地域に愛され、
社会におけるエステサロンの地位の向上に繋がって欲しい!

これこそが、お世話になった美容業界への恩返しであり、使命であると。
美容とはこんな素晴らしい仕事だという自己満足に近い想いでひた走ってきましたが、今は社会に貢献したいと願う多くの方たちと手を組み、共に前に進むことができればと思っております。
また、同じ想いで繋がった輪が育ち、さらに次世代へと繋がることを強く願っております。
長文にお付き合いいただき、深く感謝申し上げます。

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マカフル誕生ストーリー